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阪和道は、海南から渋滞でした。週末は仕方ないですね。

日本流星研究会発祥の地へ行ってきました。
                                   報告:上田 昌良
2009年7月25日(土)に上山泰巨氏、司馬康生氏、藤原康徳氏と私(上田昌良)の4名で日本流星研究会発祥の地へ行ってきました。
集合地は、和歌山県の有田川町地域交流センターとしました。ここでは、
夏季企画展「没後40年 小槇孝二郎 宇宙への想い」が開催中でしたので、その展示の見学も兼ねられることもあり、そうしました。


集合地の有田川町地域交流センターは、今年の4月にオープンしたばかりのきれいな建物でした。

企画展は、第4研修室で行われていました。

小槇さん宅には「日本流星研究会」の表札が健在でした。
まさに、ここが日本流星研究会発祥の地です。

当時の若い流星の観測研究者のお顔がみえる。
個人情報のため、お名前は出せません。
このほかにも展示品がたくさんあり、どれもが貴重なものです。
天文回報第1号から展示してあったのには、驚きました。今までは幻の第1号でどこにも、誰も持っていない(現存していない)と思われていたのですから、

また、流星の観測報告(欧文報告)で1950年代のものも展示してありました。

これらの資料があるのですから、この地で、流星会議を開催して資料紹介をすることは絶大なる値打ちがあると思います。

資料がPDF化されればいいですね。

町あげての観測体制に、当時の熱気が感じられる。

小槇孝二郎先生と茂代様のお墓

私は、生前の小槇先生にお目にかかったことがありません。今ではほとんどの方が生前にお会いしていないようです。

上山さんは、金屋へ頻繁に来られるようですので、また、近況を教えていただきたいものです。

小槇さんに案内をしていただいて、
お墓まいりにいくところ。

小槇先生が使われていたタイプライターやガリ版など。

国際地球観測年に人工衛星を観測した機材(昭和32年)

小槇先生が死の直前まで行われていた太陽黒点の観測資料。

私は、今回の訪問時に1949年の1年間のスケッチ原本をいただきました。